大名家の屋敷の平均面積は、大体、3000坪〜5000坪ほどあった。
下級武士で150坪〜300坪 中級の旗本、御家人になると500坪くらい
あったそうな。
一石は庶民が一年間食べていける米の量と言われているが、その当時は、貨幣以外に
お米そのものに、貨幣価値が存在していたので、今の庶民の年収の300万〜400万
くらいの価値があったのではないだろうか。
なので1万石の大名家は今でいう年商300億以上の企業の経営者一族と同じくらいと見て
いいだろう。
[スレ作成日時]2007-02-07 21:28:00
江戸時代の人達は大きな屋敷に住んでいた。
2:
匿名さん
[2007-02-11 16:57:00]
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3:
匿名さん
[2007-02-11 17:42:00]
企業と地方自治体が合体したのが大名家に近いと思うが、分かりやすく言えば企業の方が
表現しやすい。 土地に価値が無かったわけではなく、土地を支配していたというのが正しい。 今は個人の土地を 不動産会社が握っているので、少し感覚的に判断しにくいだけ。 |
4:
匿名さん
[2007-02-11 20:47:00]
じゃあスレ主の言っていることは見当違い?
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5:
匿名さん
[2007-02-11 20:52:00]
新宿御苑は大名の屋敷だったんだろ?
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6:
匿名さん
[2007-02-12 06:52:00]
どこからスレ主の言っていることが見当違いになるのかわからない。
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7:
匿名さん
[2007-02-12 08:24:00]
スレ主は一石の価値を過大評価している。
一石は、あくまで「大人ひとりが一年間で食べる米の量」だから、せいぜい今の5万円程度。 加賀百万石は500億、その家来の高禄の者は千石〜一万石(5千万〜5億)の報酬。 |
8:
匿名さん
[2007-02-12 09:58:00]
>「江戸時代の人達は大きな屋敷に住んでいた」
ま、大名やら、高禄の家来や旗本は、そうだったでしょうね、使用人も多いし、武士という ガードマンも雇っていたからね。 ただ、土地そのものは、需給関係からいえば、江戸城周辺以外は、いくらでも余ってただろうね。 ほとんど農民や、一部商人の使用人ばかりだからね。 「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」といわれたぐらい、本郷三丁目あたりが江戸の端っこ だったわけで、新宿なんて田舎の宿場でしょう。 だから、敷地の広さよりも、建築物と、その内装・建具が、及び庭園に、どのくらいカネをかけて いたかが、そのアルジの富裕さとセンスの有無を表すと思う。 |
9:
匿名さん
[2007-02-12 18:12:00]
大人一人が一年間で食べる米の量という定義自体、その当時の生活を無視している。
お米そのものに貨幣価値が存在していた訳で、お米と他のものとの物々交換をしたり お米で建て替えたりしていた。 なのでお米にも貨幣価値が存在してたという落とし穴 がある。 当時の石高は全体で2000万石今の国家予算は80兆この対比で考えなくてはならない ミクロで見るとそのような計算になるだろうが、こういう場合、様々な経済的環境を考慮 する必要があるので、マクロ経済的に判断した方が、より正しい今の経済価値が算出でき ると思う。 |
10:
匿名さん
[2007-02-12 19:52:00]
加賀100万石の場合
①生産高が100万石 ②そこから「五公五民」みたいに大名に納める年貢が決まる ③大名はその年貢を「禄」として家臣を雇う こんな感じでいいのでしょうか?もし間違っていたら教えてください。 |
11:
07
[2007-02-12 20:21:00]
一石=一兵士ともいわれるね。
喰うものに困窮してた時代、白いおまんまが喰えるだけで、喜んで兵士になっただろう。 スーツを買うでもない、たばこやビールを飲むでもない、雑魚寝するだけの長屋住まい、 レジャーはもちろんテレビもなければ電気もない。 そんな時代だから、年間5万円程度でも文句なくやっていけたのよ。 白いおまんまを少しガマンして、アワ・ヒエにし、ナッパや小魚に交換してたのだね。 |
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12:
匿名さん
[2007-02-12 21:09:00]
江戸時代も後期になると貨幣経済が発展し、商人の力が強大となった。米くらいしか
流通させる物しかない藩は年貢のかなりの部分を大坂に運び貨幣に交換して必要な 物資を調達した。因って、徳川幕府開府時の重農主義は崩壊して行ったのである。 この構造的矛盾をはらんだ幕藩体制は幕末において列強の帝国主義の前に破綻し明治 維新を迎えたのである。 |
13:
匿名さん
[2007-02-12 21:49:00]
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14:
匿名さん
[2007-02-13 00:07:00]
年間5万でやっていけたって今の貨幣価値としてどれくらいかと言ってるので
今、年間5万で生活できますか? 何も白い米そのものよりも様々な物と交換していたということは、今のお金の価値と 同じくらいの物として存在してた訳。 今の貨幣価値の意味が分かってるのだろうか・・・。 江戸時代後期の話をしても意味が ない 経済は良くも悪くもなるのでその時は武士階級が貧しければ農民も貧しい訳。 比べたら分かりやすいだろうけど 公家、武士階級=経営者、政治家 農民 =サラリーマン こう言ったらわかるだろうか・・。 |
15:
匿名さん
[2007-02-13 05:56:00]
だ〜か〜ら〜、比較する対象が違ってるのよ。
むりやり現代の日本に置き換えるから、実態を誤る。 江戸時代の経済状態・産業構造・インフラや生活環境を考えるなら、 比較する対象は、現代でいえば極貧の発展途上国でしょう。 (ただし王侯貴族階級のゼイタクさは庶民とは段違い。) アフリカの腹すかせた子どもたちと、その親の生活をみなはれ。 彼らの年収、いくらなの? 200〜300万?、ありえねー。 公家、殿様=王侯貴族階級 武士 =兵士 農民 =貧民 こう言ったらわかるだろうか・・。極端な、格差社会なのよ。 |
16:
匿名さん
[2007-02-13 06:56:00]
日本の今の経済でみなくては意味がない。 何故他国と比べるのか?
江戸時代も現代も同じ日本人なので、日本の今の経済価値としていくらか? ということだよ? 要するに比較されるのが嫌なだけだろ? 現実を見るのが嫌だから。 日本の大名家や豪商、豪農はかなり贅沢だったよ? |
17:
匿名さん
[2007-02-13 12:13:00]
「武士の家計簿(磯田道史)」によれば、
100石の知行 = 40石の収入 = 40両弱に換算=1160万円ぐらいに換算 だったはず。この考え方だと、1万石の大名の収入は11億6000万円ぐらいになる。 |
18:
匿名さん
[2007-02-13 17:42:00]
大名家はほとんどが借金で首が回らなかったんじゃないの。ただ、借金踏み倒しは
何回かやっているので、現在と単純に比較できない。たとえば薩摩島津家は幕末に 幕府がいずれこけるのを見越して過大な投資をしている一方で財政再建もやってい る。その他の大名家も参勤交代なんか涙ぐましいカットをやっている。放蕩三昧の バカ殿がいる一方、名家老の血のにじむような財政改革。よくわからん。しかし、 多数の家来は内職をしなければ食えなかったのも事実。それとマイカーじゃ、海外 旅行じゃ、ゴルフじゃ、携帯じゃなんて類の出費が不要だと言うことを頭に入れて おく必要あるだろな。 |
19:
匿名さん
[2007-02-13 17:48:00]
大変興味深く、議論1つ1つも面白いのですが・・・
するっていと、今の新築MS住まいも当時の長屋相当ですかね?...当時MS無いし(^^ゝ |
20:
匿名さん
[2007-02-13 18:08:00]
幕末の話をしてる訳ではない。 江戸の没落は、幕府のお金を大奥が
食いつぶしたからである。 |
21:
匿名さん
[2007-02-13 18:13:00]
当時日本人口は大部分が農民なので、いわゆる農家ですな。町人は商人、職人、浪人
その他や無宿者なんかでこれは大部分が棟割長屋住まい。MSとはニュアンス違う。 当時分譲長屋なんか無いし。現在のリーマンに近い職業である武士は武家屋敷とか武士 用の長屋住まいだから社宅ですな。現在ニッポンリーマンの甲斐性だと言う意味でのMS は、比較対象になるものがないと思われ。 |
②1万石が年商300億の企業と同一と言うのは間違い、むしろ予算が300億の地方自治体と考えるべき。