大名家の屋敷の平均面積は、大体、3000坪〜5000坪ほどあった。
下級武士で150坪〜300坪 中級の旗本、御家人になると500坪くらい
あったそうな。
一石は庶民が一年間食べていける米の量と言われているが、その当時は、貨幣以外に
お米そのものに、貨幣価値が存在していたので、今の庶民の年収の300万〜400万
くらいの価値があったのではないだろうか。
なので1万石の大名家は今でいう年商300億以上の企業の経営者一族と同じくらいと見て
いいだろう。
[スレ作成日時]2007-02-07 21:28:00
江戸時代の人達は大きな屋敷に住んでいた。
12:
匿名さん
[2007-02-12 21:09:00]
|
流通させる物しかない藩は年貢のかなりの部分を大坂に運び貨幣に交換して必要な
物資を調達した。因って、徳川幕府開府時の重農主義は崩壊して行ったのである。
この構造的矛盾をはらんだ幕藩体制は幕末において列強の帝国主義の前に破綻し明治
維新を迎えたのである。