いじめ問題
857:
ままん侍
[2007-01-02 06:55:00]
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857:
ままん侍
[2007-01-02 06:55:00]
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おしゃることはよくわかります。
罰則を設けだけで終わってしまうのではないかという危惧も
そうしなければいいことなのでしょうが
罰則があるからいじめが悪いと認識させることより
いじめは卑劣な行為であるというそれ自体が悪いと教える事が大切だと思うのです。
それでは間に合わないとおっしゃるのかもしれませんが
それを学ばせるのが教育だと思うんですよ。
教室でいじめがあったことが発覚したときに
それを教材にいじめた子、いじめられた子、
そしていじめを見過ごしていた子達全員がいじめが卑しいことだということを
学ばせなければいけません。
それは罰則があるからではないはずです。
…それが出来てりゃイジメなんてない。
とおっしゃられるでしょう。その通りです。
でもそれをやらなければいけないんです。
やっとイジメ問題に真剣に取り組み始めたときです。
出来るはずです。
近所で落ちていたゴミを拾うのは何故?
電車で老人に席を譲のは何故?
周りや人のことを考えてものの善悪を習得する学んでいくときに
「罰則」というのは違う気がするのです。
100点取ったらご褒美をやるとか
(息子が柔道をやっているのですが)柔道の勝ち負けにさえ
賞品を用意している親御さんを見受けます。
せっかくの100点取った喜び、
柔道で相手に勝った喜びをご褒美にすり替えられてしまいます。
今度もまたご褒美がなければ真剣に取り組む気にならないでしょう。
罰則もそれに似て
いじめ自体の行為を反省するより罰則にすり替わって
「見つからなければいいと」とはならないでしょうか。