建築物の名称 (仮称)文京区小石川4丁目計画
建築敷地の地名地番 東京都文京区小石川四丁目70番17
用途 共同住宅522戸(一部店舗)(内ワンルーム形式28戸)
敷地面積 12,487.08㎡
建築面積 7,491.63㎡
延べ面積 43,153.29㎡
構造 鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)
基礎工法 杭基礎
階数 地上10階/地下0階
高さ 30.99m(最高32.20m)
着工予定 2023年9月15日
完了予定 2026年3月31日
建築主 日鉄興和不動産株式会社
設計者 株式会社 長谷工コーポレーション エンジニアリング事業部
施工者 未定
標識設置年月日 2022年10月13日
[スレ作成日時]2022-10-14 17:33:44
(仮称)文京区小石川4丁目計画(共同印刷跡地)
334:
匿名さん
[2023-10-20 18:54:06]
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by 管理担当
こちらは閉鎖されました。 |
流域には松平丹後守とか小笠原佐渡守、松平備中守の屋敷もあったけどねえ。とりあえず人が住めない土地だったというふうには見えないけれど
厳密にそう使われていたかどうかはわからないが、通常上屋敷は現藩主と家族の居宅で、中屋敷は隠居や世継ぎが住むところ。下屋敷は物流拠点として水運の便利な場所に作られるということになっているから、防災のためというのとは異なるんじゃない?確かに水戸上屋敷も水害には遭っているし、安政大地震では藤田東湖が家の下敷きになって亡くなっている。確かに災害には弱い地域なんだろうけれど、人が住めない土地という認識はなかったからあれだけたくさんの武家屋敷が建っていたのだろう。
江戸切り絵図 本郷湯島絵図の上辺あたりを見ていただくとわかるが、千川流域のお堀に近いあたりは旗本や大名の屋敷だらけだよ。