主に豊洲・東雲・有明の江東区埋立地の事を話し合うスレッドです。
もちろん江東区埋立地であれば他の地域の話題でもOKです。
土壌汚染、地震リスクは高いですが、安さが魅力のこの地域。
いつも通り住民のかたが中心になって大いに語りましょう。
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前スレ
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[スレ作成日時]2013-09-15 16:08:44
豊洲・東雲・有明(江東区湾岸部)の事をはなしましょう102
52:
匿名さん
[2013-09-15 23:48:24]
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by 管理担当
こちらは閉鎖されました。 |
イーストエンド・オブ・ロンドン (East End of London) は、イングランドのロンドンにおいてシティ・オブ・ロンドンの中世期の防壁の東側とテムズ川の北側の地域を指す。しかし、正式な地域の境界は存在しない。ウエストエンドに対する下町。かつて切り裂きジャックの現場となった所である。テムズ川が曲流しており、それに沿ってたくさんのドックが建ち並ぶ。毎年恒例で、9月にイースト・ミーツ・ウェスト・カーニバル、12月にはスピタルフィールズの音楽祭がある。
イーストエンドの語に対する軽蔑的な用法は19世紀後半に始まったが、これはロンドンの人口の拡大によって、極端な過密状態につながり、イーストエンドの地域へ貧困層と移民層が集中したことに起因する[1][2]。これらは、1827年のセイント・キャサリン・ドックズの建設と1840年から1875年にかけて建設されたターミナル駅によってスラムと集合住居が一掃され、多くの人々がイーストエンドへ移り住んだことから、さらなる悪化を引き起こした。およそ1世紀の間、イーストエンドは貧困、人口過密、病気、犯罪を意味した[3]。
過密地域に住所をもたせる行政の試みは、ロンドン・シティ・カウンシルによって20世紀初期に始まった。第二次世界大戦は、ドック、鉄道、工業地帯が継続的に攻撃目標に選定され、イーストエンドを荒廃させた。同時に郊外へ住民の離散をもたらし、1950年代に新しい住居が建設された[3]。1980年のポート・オブ・ロンドンのイーストエンドドックの閉鎖によって、再開発が始まった。カナリー・ワーフ開発、改善されたインフラストラクチャー、オリンピック・パークなどは、イーストエンドに変化が訪れていることを意味するが、一部ではイギリスで最悪の貧困層を含んでいる[5]。