前スレッド
山手線の駅力を語るスレ 4
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/224283/
[スレ作成日時]2012-05-28 01:04:31
\専門家に相談できる/
山手線の駅力を語るスレ Part5
6847:
匿名さん
[2017-05-28 12:55:55]
|
スムログ 最新情報
スムラボ 最新情報
本当に歴史知っているのか?江戸の歴史は埋め立てと運河形成の歴史だ。不勉強もたいがいにしたほうがいい。
天正18年(1590) 家康 は、駿府から江戸に移り、道灌が築いた江戸城を居城としました。当時の江戸は江戸城間際まで日比谷入江が入り込み、現在の皇居外苑のあたりまで海だったそうです。この頃、江戸の地は、前に海が迫り、江戸湾沿いの地帯には多くの汐入地が点在し、満潮になれば海水が入り込み、 潮が引けば、葦や萱などが生い茂る湿地帯になったことが伝えられています。また、後ろには、山や武蔵野の林に覆われた原野が広がり、平坦な土地は極めて少なく、 大勢の人が生活するような場所ではなかったと言われています。江戸に比べれば、鎌倉や小田原の方がはるかに大きな都市であり、環境も整っていたわけです。それでも、家康は江戸を選びました。
<江戸の大改造>
大勢の人が永住でき、行く末は日本の中心とするために、家康は 江戸の大改造 に着手しました。 土地も、城も、堀も、寺も、町も、そしてあらゆるシステムも。まず、江戸の土地を広げるために、大規模な江戸湊の埋立てを行いました。 神田山 を切り崩し、切り崩した土で 日比谷入江 を埋立てました。数多くあった汐入地も埋め立てました。また、家康は、上水道の整備も積極的に行いました。平川は、江戸市中へ物資を運ぶ輸送路として、さらに江戸城を守るための濠としても 利用されましたが、神田山を切り崩した際に平川を隅田川に合流させ、江戸城外堀として機能させると同時に 江戸市中へ水を運ぶ上水としても活用しました。